ICI建築講演会「内藤廣 建築を語る」が開催されました

6月11日に茨城県取手市にあるICI総合センターで、ICI建築講演会を行いました。
ICI建築講演会は、広く社会的な活動を続けてこられた第一線で活躍している著名な建築家をお招きして、前田建設の主催で年2回開催する講演会です。プロデューサーの安東孝一氏による講師へのインタビューを通じて、これからの社会における建築のありかたとデザインの問題をトータルに考えます。

今回は建築家の内藤廣氏をお迎えし、建築について語っていただきました。
今回は、75分のご講演と45分の質疑応答が行われ、300名を超える方にご参加いただきました。

前半は内藤先生が建築を設計する際に考えた事をいくつもの建物について、説明いただきました。初期の代表作の1992年「海の博物館」から始まり、前田建設施工の「安曇野ちひろ美術館」、「安曇野市庁舎」、「紀尾井清堂」、2024年5月供用開始の「鳴門市庁舎」、現在設計中の「多摩美術大学の新棟・講堂」などについてご講演いただきました。

後半は内藤先生の仕事の相関関係の図と、10年前に描かれたという赤鬼と青鬼の図を使って、建築的な思想方法について話をしていただきました。

***講演内容***

建築の話

海の博物館(1992)は超ローコストで建てた建築。アーチ状の架構が生み出す空間が私の実現したかった事で、用途が博物館であっても集会場等別の用途の建物になったとしても変わらない普遍的な価値を求めた。建築の本質的な点は、それだけで意味があり、価値のある事だと強く思っている。

安曇野ちひろ美術館(1997)は、木造屋根の架構が大事で、海の博物館と同じで屋根架構によって出来た空間に普遍的な価値があると考えている。初の前田建設施工物件(所長:太刀川)。素晴らしく清掃が行き届いている現場だった。


島根県芸術文化センター グラントワ(2005)は展覧会を昨年開催した。この建物に込めたものは用途によるものではなくて、水盤のある中庭の空間に価値を込めた。

安曇野市庁舎(2015)も、前田建設施工物件(所長:浦前)。市役所の執務機能とは別の部分に、象徴的な空間をつくろうと思い、吹き抜けの中に階段を設けた。

周南市徳山駅前図書館(2018)は利用率が高い事が誇り。夜も若者が集っている。建築的に面白い話は無く、捉えやすい特徴はないが、それが私の建築の特徴でもある。

高田松原津波復興祈念公園(2019 )は、広田湾に向かって献花する場所の「海を望む場」の事だけを考えて作った。建築的に面白いところはないが、目的がもっと高いところにある感じで、自分がやりたい事は出来た。

紀尾井清堂(2021)は前田建設施工で、今日来場している所長の大井さんが担当した。建築的なメッセージが強い空間で、使い方は竣工後2年たってもまだ決まっていないが、それ自体がメッセージになっていると思う。

鳴門市庁舎(2024)も前田建設施工。建築家増田友也の設計した旧庁舎を解体して建設するので、増田の哲学的思想を意識して設計した。増田は全体を構成していくことの単純さと厳しさの中に建築の価値があるというロジックを外さずさないという思想を持っていると考えそれに沿って設計を進めた。

現在進行中のプロジェクトはいくつもあるが、現在学長を務めている多摩美術大学の新棟・講堂は、現在前田建設で施工中。所長は紀尾井清堂で所長をした大井さんにお願いした。理由は、良い建物は設計と施工が一体にならなくてはできないと思っており、大井さんならそれができるためだ。

建築思考の話

講演会前日に観た映画「PERFECT DAYS」がとてもよかった。渋谷にある建築家達が設計した個性的な公衆トイレを、役所広司演じるトイレ清掃員が日々働く日常の話。この映画は作家性と人間味が絶妙に描かれていて、
淡々と繰り返される日常の中にも、かけがえのない瞬間を捉えようとしていた。

自分を取り巻く状況を図にした。建築の思考方法をベースに考えると、他分野でもその思考方法を転用できるという事を示している。建築を核に街づくり、土木、デザイン、大学などいろいろな事をしている。「建築」は結局、人間の事なのだと改めて思っている。

「民藝」という言葉をつくった柳宗悦(やなぎむねよし)に最近興味がある。工芸において、高価な「上手物(じょうてもの)」の作家的な美しさばかりではなく、安価な日用品を指す「下手物(げてもの)」の中に美しさを見出し、日常生活にこそ本当の美しさがあるとした。

2023年の秋に島根県立石見美術館(島根県芸術文化センター内)で展覧会を開催した。10年前に描いた自分の中の赤鬼と青鬼の図。この2つの鬼を使って作品説明する展覧会にした。作家的な事は赤鬼で、何かを表現する・伝える役割。ブレーキをかけるのが青鬼。作家的な赤鬼部分が飛び出す場合もあるが、大体の事は青鬼が決めていく事が多い。展覧会の会場となった美術館は私の設計で、建物ができて18年経った今も、その建物で働く学芸員の方も、地域の方も、この建物が好きだと言ってくれていた。建築家としてこれ以上の幸せは無い。自分がこの建物で実現しようと尽力したことが間違っていなかったという実感と充足感が大変大きい経験だった。

今日の講演会を通してお伝えしたかったことは、「建築それ自身にしか回収できない建築固有の価値」があるということ。仮に将来、使う人が変わったり、用途が変わったとしても、変わらぬ真の価値が建築にあれば、使い続けることができる、つまり建築の存在意義があるのではないかと思っている。

現在、BUNGANETで月に1回連載をしているのでよかったら見てください。赤鬼と青鬼がここにも登場して暴れています。
https://bunganet.tokyo/category/rensai/rensai-naito/


その後、質疑応答

***講演会を聞いて***

今回の講演会で作家性が前面に出てくることは否定し、しかし無いのもよろしくないというバランスの大事さがそのまま内藤先生の作品に現れていると思いました。また、時代・人・用途が変わったとしても、その建物が存在する事に価値がある建築を作りたいという、一貫した建築思想についても強く感じる事ができました。

改めて内藤廣先生、ご講演いただきありがとうございました。

第2回ICI建築講演会も多くの方にご参加いただき、盛況のうちに終了することができました。ご参加いただきました皆様改めてありがとうございました。
ご興味のある方は、今後も同様の講演会を継続して開催してまいりますので、ぜひお申込みください。


Column  民藝展へいってきました!

内藤廣先生 と 柳宗悦 と 今和次郎

内藤先生と柳宗悦
内藤廣先生の2024年6月11日ICI建築講演会の中で、民藝の柳宗悦(やなぎむねよし)の話があった。工芸において、高価な「上手物」の作家的な美しさばかりではなく、安価な日用品を指す「下手物」の中に美しさを見出し、日常生活にこそ本当の美しさがあるとの話だった。内藤先生の講演の中で、ご自身の建築の目指すところは「変わらぬ真の価値が建築にあれば、使い続けることができる、つまり建築の存在意義があるのではないかと思っている。」とのことで、民藝の存在と共通点があるように思った。

『民藝 MINGEI — 美は暮らしのなかにある』に行ってきた

講演会を聞いて民藝に興味がわき、世田谷美術館で6月末まで開催されていた『民藝 MINGEI — 美は暮らしのなかにある』に行った。

開催趣旨は「柳が説いた生活の中の美、民藝とは何か、そのひろがりと今、そしてこれからを展望する展覧会です(HP抜粋https://mingei-kurashi.exhibit.jp/)」との通り、過去、現在、未来の視点でゾーン分けして、約150件の民藝の品々が展示された。

第1章は「1941年の生活展」の再現を、第2章「暮らしのなかの民藝」では当時の民藝品を展示、第3章「ひろがる民藝」は海外の民芸品、今と今後の日本の民藝を取り上げていた。

特に筆者が興味深かったのは、大きく3点。




1つめは、縄文土器が展示されていたことだ。縄文時代から日用品を装飾する文化力の高さと、江戸時代など近世よりもずっと古い時代の物までさかのぼり、それを民藝とする柳宗悦の視野の広さに驚きを感じた。

2つめは、1941年の展示会を再現したコーナーで、当時画期的だった現在につながるテーブルコーディネートを展示していた点で、今見ても美しいと感じ、民藝の美しさの変わらぬ価値を感じた。

3つめは、今後の日本の民藝の生産者を動画でも流しており、伝統工芸にデザイナーなどの他者が介入して、現代にうまく融合させていく様子が興味深かった。

柳宗悦と今和次郎
ところで、前田建設には甚吉邸(ICI総合センター敷地内)がある。デザイナーとして甚吉邸の細部装飾に関わった今和次郎は、考現学の提唱者であり、日本で初めて民家を本にまとめた人物でもある。柳宗悦(1889年生)と今和次郎(1888年生)はほぼ同じ年で、共に1920年代以降活躍をしている。同時期に柳宗悦は思想家として民藝運動を、今和次郎は建築の目線で民家論を展開している。調べてみると接点が多くはないものの、1939年創刊の「月刊民藝」に今和次郎が小文を掲載するなど、「民藝」を通して2人の活動が重なる部分があることが分かった。


まとめ
内藤先生と柳宗悦、柳宗悦と今和次郎、個々につながることで、筆者の中では時代を超えて3名がつながり、興奮が止まらなかった。本展覧会は、富山県美術館で2024年7月13日[土]から、その後も名古屋、福岡で開催されるので、ぜひ足を運んでみてください。